花壇♪ (10.5.31)
約1ヶ月前、自宅にある小さな花壇を久々に整備しました。小さな苗を植えた花壇は、天気のいい日は仕事から帰宅する度に、花の数が増えていき、疲れていてもとても癒されます。
本当は、この花壇の奥にある庭を私の好きなように整備したいのですが、すぐ隣に住む主人の両親の意向もあり、なかなか思い通りにはなりません。
しばらくは、この花壇だけが私の癒しスペースになりそうです。
(石川美輪子)
ブラインドタッチ (10.5.28)
明日は、香川県行政書士会の総会です。今回書記を担当することになり、責任重大と思い事前に準備等をして、明日に備えています。当日は、ノートパソコンを準備してブラインドタッチのできるもう一人の書記にその場で記録してもらいつつ、私はその横で必死にペンを走らせる予定です。
最近は、常にノートパソコンを持参しノート代わりに記録をしている人を見かけますが、ブラインドタッチのできない私は、便利そうと思いつつ自信がないので、ノート記録派です。でも、滑らかに指を動かせて記録できる姿は、仕事できそうに見えてかっこいいだろうし、何より仕事の効率がいいだろうと思います。
最近就職した長男が、ブラインドタッチができないと仕事にならないということで、練習用ソフトで毎日必死で練習しているそうなので、上達具合を聞きながら、考えてみようかなと思います。(長門 恵子)
ボールの行方 (10.5.27)
日本代表、悪夢の逆転負けから始まり、決勝戦でのフランス代表ジダンの「頭突き」で終わった、ドイツ大会からもう4年。
いよいよ、6月11日から、サッカーW杯南アフリカ大会が始まります。今大会では、どのようなドラマが生まれるのでしょうか?
国代表のレベルの低下や開催地の治安の悪さなど、マイナスの要素も語られていますが、やっぱり、W杯は別格。今からワクワクしています。
......それにしても、我らが日本代表......。
今年に入っても低調な試合が続き、期待値がゼロに近いのは本当に寂しい限り。
自国の活躍を期待し、勝利の可能性を口にすることが、「恥ずかしい」風潮すらあります。
「予選リーグ、3戦全敗だ。」とか、「監督のいうベスト4は、予選リーグでのベスト4(つまり、リーグ最下位ということ)。」とか、ネガティブな論調も多々あります。
しかし!サッカーには、こんな名言があります。
「Der Ball ist rund.(ボールは丸い。)」
そう、ボールは丸い。事は、スポーツ。何が起こるか分かりません。
(堀川 伴和)
読書 (10.5.26)
最近、本を読むということを心がけている。今までの人生の中でこのように思ったことは、あまりなかったのだが、時間を見つけては読書をするようになった。
ちなみに、5月は4冊目・・・
読んだ中で印象的な本は、東野圭吾著者の「時生」である。
時に生きると命名された子供が父親の若い頃に会いに行って、父親の一生を左右する岐路に立っているところに、父親をいい方向に導くための施策を講じるという物語。
自分も時を移動することが出来るのであれば、どんなにいいだろうかと思う。
数々の失敗を起こさないようにできたのではないか、後悔しないようにできたのではないか・・
若い頃に知らないことや気づかないことをもっといっぱい知っておけば、気づいておけば、いろんな人と出会っておけば、もっと自分自身が人間的にも優れたに違いないし、きっと違う人生を歩むことができたのかもしれない。
ただ、どんなに考えても、時間は過ぎていく。朝が来て、昼が来て、夜が来て、毎日毎日、時間は過ぎていく。時間を取り戻すことができないのなら、過去も現在も全部受け止めて、これからの未来を自分がどう生きていくか考えて、限られた時間を大切に大事にしていきたいと思っている。(岩田健生)
雛の巣立ち (10.5.25)
先日、ツバメの巣の話題がコラムに記載されていましたが、我が家でもいくつか鳥の巣があります。
薪小屋のすぐそばに植わっている柿の木に、数年前にキツツキが巣穴をあけていたのですが、今年はその巣穴に違う鳥が卵を産みました。雀ほどの大きさの黒と白の鳥です。キツツキが巣を作った時は、とてもうれしくて卵が孵るのを楽しみにしていたのですが、夫が柿の木のすぐ近くでチェンソーを使ったり薪割をしたので、驚いたのか卵を産むのをやめてほかに引っ越してしまいました。
今年の鳥は、卵が無事に孵って雛が親鳥を呼ぶ声が巣穴から聞こえていました。その後、カラスが巣穴に足を掛け雛をねらっているのを見かけ、私がカラスを追い払うという危機はありましたが、無事に巣立ったようです。
毎年、雀も我が家から巣立ちます。昨年は、3つの巣箱から合計25羽が巣立ちました。今年は、ちょうど連休中に5羽の巣立ちの瞬間を目撃することができました。母鳥に促されて、懸命に羽ばたく姿をほほえましく眺めたのでした。(濱田 幸子)
「母の日」 (10.5.24)
5月の第2日曜日は「母の日」である。今年でいえば5月9日であった。
私は母の日に、毎年絶対何かしようと決めているわけではない。今までは思い立ったときに、何かプレゼントをするようにしていた。ハンドバックや帽子、アクセサリーなど、ほとんど身につけるようなものが多かったように思う。
毎年、母の日が近づくと花屋にはカーネーションがずらりと並ぶ。私が思い出す限りでは、カーネーションを贈った記憶はない。なぜなら、実家は田舎だったので、畑にカーネーションがずらっと植えてあり、贈っても喜ばれないなと思っていたからだ。しかし、今年はカーネーションをプレゼントした。色とりどりのカーネーションの中で、赤でもピンクでもない、少しオレンジがかった変わった色を見つけたからだ。母の日には少し早かったが、ゴールデンウイーク最後の日に実家に帰ってプレゼントした。当然母は喜んでくれだのだが、でも、贈り物をもらうよりも何よりも私たちが顔を見せることが本当の意味での親孝行であるとは思う。忙しさを理由に近くてもなかなか帰ってないことをいつも申し訳なく思っている。親にとっては、30になっても40になっても子供であることには変わりはない。小さい頃は、縦に大きく成長していたが、最近はいくばくか横にも成長するようになったが、それもご愛敬のうちとして、顔をみせる機会を増やそうと思う。
毎年だいたいこの時期に反省する・・・。
(酒井洋美)
「失敗学」 (10.5.21)
「ああ、困った。」
人は誰でも「失敗」を体験します。
私も、53年の人生の中で、思い返す度に顔が赤くなるような「失敗」体験があります。
忘れることが出来るので生きていけるのですが、全てを目の前に列記するとおそらく死んでしまいたくなると思います。
この「失敗」については、「失敗学」という学問になるくらいの意味が有ります。この「失敗学」の本を読んでみると実に面白い教えがあります。
失敗学の定義もあります。「失敗学(しっぱいがく)とは、起こってしまった失敗に対し、責任追及のみに終始せず、(物理的・個人的な)直接原因と(背景的・組織的な)根幹原因を究明する学問のこと」と定義をしています。
世の中には「懺悔的反省」が見受けられます。ひどい場合は「隠蔽工作」をする場合もあります。
しかし、それでは成長が無い。やはり、勇気をもって、「失敗から学ぶ」ことや「再発防止の学び」が大切なことではないでしょうか。(林 哲也)
我が家の訪問者 (10.5.20)
今年も暑い時期になってきました。毎年5月初旬、少し暑いなと感じる頃になると我が家に訪問者がやってきます。それはツバメです。
ツバメの巣は我が家に2つ。1つは駐輪場に、もう1つは私の車を止める駐車場にあります。駐輪場の場合は隅に自転車を置いて、糞の被害を最小限におさえることができています。が駐車場の方は、車を止めると真上に彼らの巣があり、卵を産んで子育てが始まると大変なことになってしまいそうです。今年が車を買って初めての5月となるので、一体どうなるのかと・・・・。対策としてシャッターを必ず閉めることはやっていますが、他にドアのない入り口があるので果たして効果はあるのでしょうか?シャッターを開けるとツバメが2,3匹待ち構えています。(笑)
ツバメの訪問による被害はありますが、悪いことだけではありません。
物心ついた頃から、毎年訪れてくれるツバメは夏の始まりを知らせてくれる存在となっています。また、ツバメを通じて、祖父から自然界の厳しさも教えてもらいました。子育てが始まり、雛が卵から孵ると巣から落ちてしまう子もいます。それを戻してあげたいとは思いますが、それを戻しても、親ツバメは子育てを放棄してしまうというのです。「かわいそうだけど、仕方ないんだな。」と幼心に感じたことを覚えています。(木村 亮太)
女子プロ野球 (10.5.19)
先月、女子プロ野球リーグが開幕しました。初めてのことだと思っていましたが、一度1950年に発足し、2年で活動を停止したことがあるそうです。59年ぶりの復活です。
私は兄がいるので、幼い頃から外での遊びといえば野球やキャッチボールが主で、野球をするのが大好きだったので他人事とは思えません。
私の幼い頃は、野球といえば男子のスポーツで女子をメンバーに入れてくれるチームはありませんでした。小学4年生になってソフトボール部に入りましたが、どうもしっくりこなくて小学校卒業と同時に辞めてしまいました。もし、あの頃から今のように女子野球があれば間違いなく野球をしていただろうな。
女子プロ野球は人気も上々で、観客が多すぎて試合球場の変更をすることにまでなっているらしいです。まだ2球団ですが、野球をしている小さい女の子の夢となるように頑張ってほしいと期待しています。
(齋藤 美穂)
石 コレクター (10.5.18)
最近、我が家の娘がはまっているのは、石集めです。
毎日、必ず、数個の石を拾ってきます。石であれば、何でもいいらしく、大きい石から小さい石までいろいろとポケットに入れて帰ってきます。
そして、自分が手を洗うときに、石も一緒に洗ってテーブルに置いていきます。でもそこまで大切?にしているのに、テーブルに置きっぱなし。それっきりなのです。捨てようとすると、怒ります。いつまで、石集めするのか・・・。はやく、飽きてほしいと思っている今日このごろです・・・。
(長谷 由紀)