どっちだろう (14.12.12)
「あんなええ人はおらんけん。入れてあげてな。頼むよ」。選挙になるとよくこんな電話がくる。これまでどんな政治活動をしてきたか、どんな実績をあげたか、そして未来へ向けて掲げる政策は何か、そんな話は出てこない。こちらもあえて問う気にもならない。ええ人なあ・・・、基本、悪い人はおらんと思うけど・・・と閉口してしまう。
自分の持つ1票は、その選挙区において数十万分の1にすぎない。自分が投票しようがしまいが結果に大きな影響を与えることはない。だから自分の力の及ばないことに関心を持ち、それらに関する知識を得ることに注力するよりも、仕事や勉強、趣味に自分の貴重な時間を充てるべきだ。こうした考えを合理的無知と呼ぶらしい。この年末のくそ寒い時期に外出なんかして、風邪をひいて仕事を休むことになるかもしれないリスクを背負いつつ、何の力も持たない1票を投じに投票所まで足を運ぶ意味があるのか考えさせられる。しばしば投票に行かない人々が批判されるが、本当に批判されるべきは、棄権(合理的に無知を選択)する人々に無知は非合理であることを諭せない政党や政治家ではないだろうか。
日曜日の朝の自分は、果たして合理的に無知な人間か、はたまた非合理的な人間か。さて、どっちだろう・・・。人は常に合理的な選択をするとは限らない。
(松本秀紀)