原点回帰 (14.6.4)
「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
日本国憲法の前文からの一部抜粋です。集団的自衛権の行使容認をめぐる議論がかまびすしいので読んでみました。そこにははっきりと「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」と書かれています。重要なのは「国家」でも「国民」でもなく「政府」とあることです。
経済的、軍事的に国際的なパワーバランスが大きく変化してきているのは周知の事実です。だからと言って、同盟国アメリカとの関係強化のために、現在まで否定してきたその集団的自衛権の行使を、解釈改憲などという姑息な手段によって、政治的に時の一内閣がひっくり返し、可能とするのは傲慢過ぎます。
権力者(人)は必ず間違いを犯す。信頼を民主主義の前提とするのではなく、猜疑心から出発しなければならない。だから憲法が必要なんだ。こうした考えの上に、権力者の権力濫用を抑えるため憲法は制定されています。日本国憲法の根本にある立憲主義という考え方です。
憲法はこの立憲主義に基づき、国家という巨大な力を法の力で支配するため、国民が権力者に守らせる大切なきまりを明文化したものです。一内閣の解釈の変更により、あたかも改正があったがごとく、軽々にその意味する内容に変化を生じせしめられるようなことがあってはなりません。現行憲法を堅持することで、もはや時代の要請に応えらないというのであれば、国民に対して十分に説明し、やはり96条に定める手続きによって改正すべきでしょう。みなさんはどうお考えになりますか。
わたしは、集団的自衛権の行使容認の是非に対して、まだ明確な答えを持っていません。しかし、解釈改憲による行使容認には反対です。なぜならそのような欺瞞に満ちた政府に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのない」社会が保障できるとは思えないからです。
行き詰ったなら原点に戻れ。そう思い日本国憲法の前文を読んでみました。集団的自衛権の行使容認の是非を問う問題は難しい問題です。新聞記事の斜め読みや、ネット上の情報をつまみ食いした程度ではなかなか正しい答えを出せません。しかし、原点に立ち帰って考えてみることによって、一筋の光明を見た感がありました。今後も関心を持ち続けて、自分の頭で考えていこうと思います。子や孫の世代に、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように。
(松本 秀紀)