成果はお金で買えない (14.2.14)
冬季オリンピックの話題で巷がにぎわっている。日本人選手の活躍に感動を受けた人も多いことだろう。そんな中、ある人の発言が物議を醸したようである。負けた際のコメントとして「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」、「日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」というもの。発言の主は、日本オリンピック委員会(JOC)会長のご子息、竹田恒泰氏である。確かに、賛否両論、いかにもマスゴミが飛びつきそうな発言である。選手擁護に立つと、メダルを獲った選手も、惜しくも逸した選手も皆、両親やコーチ、スタッフ、応援し支えてくれたすべての人たちに向けた感謝の言葉を述べている。若いのにみんなしっかりしているなあと感心する。みんな国の代表としての自覚は持っているはずだ。また、竹田氏の発言も真意を察するに、JOC会長のご子息であるお立場から、国民感情へ配慮してのことであろうと推察されるし、はなはだ非常識な発言であるとも思わない。「おいおい、こんな人がこんなこと言ってるぞ」とマスゴミが世間の批評を煽っているだけのことだ。選手たちには、周囲の雑音に惑わされず競技に集中してほしいものである。
ところで、テレビを観ていると、競技を始めたばかりの選手の幼いころの映像がよく出てくる。どの選手もみんなほんとうに楽しそうである。初めてお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、目の前で、滑ったり、飛んだり、回転したりするのを見て、かっこいいなあと思った、自分もやってみたいと思ったとビデオの中で語っている。どの選手もきっかけは、まさに純粋無垢だ。ところが、ある頃から、その子に、何千人、何万人に一人の才能が見出される。そしてそれを境に、楽しいという気持ちだけでやっていたものが、君は、もっと速く滑れる、もっと高く跳べる、もっと回転できる、もっと遠くへ飛べると周囲に期待されるようになってくる。いつしか楽しみだけでなく、やらなければいけないものとなってくる。そんなプレッシャーに押しつぶされて、本来のパフォーマンスを発揮できない選手も多くいるのではないだろうか。
冒頭の話に戻るが、「楽しかった」、それでいいんじゃないだろうか。楽しめたというこいうことは
、プレッシャーに押しつぶされず、最高のパフォーマンスを発揮できたということだ。それで転んだのならしかたがない、それ以上飛べなかったのならしかたがないじゃないか。彼ら以上の人たちは、この日本にいないのだから。他人の成果を期待するなら、その成果を期待する人の思いも大事だ。最高のパフォーマンスを発揮できるような環境に置いてあげなければならない。企業経営も同じかもしれませんね。
(松本 秀紀)
食育~しいたけ~ (14.2.13)
息子の嫌いな食べ物、こんにゃく、きのこ、ピーマン。。。これらを使ったご飯の時には、長ーい時間をかけて食べます。これを何とか改善しようと思い、息子とピーマンを育てる約束をしました。「何色の花が咲くかな~?」と息子は楽しそうに妄想していました。
「そう言えば、きのこも嫌いだったっけ?」と息子に聞くと、「うん!ちょっと嫌い~。だから、きのこも育てる!何色の花が咲くかな~?何色の葉っぱかな~?」と返答され、笑いをこらえるのに必死でした。でも、そんな気持ちがあるうちに早速!と思い、キノコ栽培セットを購入しました。届いたものをみて、「目玉がいっぱいあるみたいで気持ち悪い。」と不評でした。「葉っぱが出てくるかもしれないよ。」と説得し、霧吹きで水やりを続けた息子。朝小さかったふくらみが、夜にはニョキニョキ伸びて、次の朝には更に成長。ほんの一週間で、立派な椎茸ができました。成長が早く毎日がとても楽しかったようです。
収穫した椎茸で作ったバター炒め、お味噌汁。初めはやっぱり嫌がっていましたが、「育ててくれた椎茸はおいしいね。おいしいね。」と家族から息子にお礼を言いながら食べると、嬉しそうに一緒に食べていました。ちょっと椎茸が好きになってくれたかな?
(泉川)
雪 (14.2.12)
冬季オリンピック (14.2.10)
冬季オリンピックが開幕しました。
日本との時差で、競技はほとんど夜中から明け方なので、ついつい遅くまで観戦してしまい、寝不足の日々です。
見どころはたくさんありますが、今大会で私が一番注目していたのは、フリースタイルスキー女子モーグルの上村選手です。1998年の長野オリンピックから4大会連続の入賞でしたが、「何でこんなに一段一段(7→6→5→4位)なんだろう」という有名なコメントのとおり、メダル獲得はならず、今回が最後のオリンピックということで、絶対にメダルを獲ってほしい!と応援していました。
決勝も寝ずにリアルタイムで見ました。素人の私が見てもミスなく、最高の滑りでしたが、結果は惜しくも4位とメダル獲得には至りませんでした。
本当に残念でしたし、上村選手もさぞ無念だろうと思いましたが、試合後のインタビューでは「メダルは獲れなかったけど、すがすがしい気分」とのコメントで、悔しいと思う気持ちはもちろんあったと思いますが、自分が出せる力を出し切ったという充実感でいっぱいだったのでしょう。
メダルは獲れなかったけれど、5大会連続入賞というのは、体力的にも精神的にも相当過酷であったと思います。16年間上村選手を見てきて、最後の最後にすがすがしい笑顔になった上村選手に感動をもらいました。
(齋藤 美穂)
早いもので・・・ (14.2.7)
子供の連絡帳に、音楽教室の案内文章がありました。
子供に尋ねてみると・・・数日後に、「1年生と入学予定児童との交流会」がある時に言う言葉で、それを練習してくる宿題。とのこと・・・。
そういえば、1年前に入学予定児童として、小学校訪問したことを思い出しました。そして、小学校のことを目を輝かせながら、話してくれたことも。
早いもので、入学予定児童さんたちを案内する側になりました。上手に案内できることを祈りながら、子供の成長にウルウルした1日でした。
(長谷由紀)
老夫婦。 (14.2.6)
実家の母が、人生72年生きてきて、初のインフルエンザにかかりました。心配だったのですが、感染するといけないので看病はじいさん(父)任せに。
じいさんは、最初移る!移る!と言って逃げていたそうですが、母が夜中にトイレで倒れて動けなくなって、「助けてー」と叫ぶとすぐに2階から飛んできて、母を抱っこして2階のベッドまで運んでくれたそうです。熱が下がるまで、毎日、抱っこでトイレ。おかゆを作ったり、洗濯したりとそれはそれは甲斐々しく看病していたとか。
私が物心ついてから40年近く、母は風邪で寝込んだことなどありませんでした。そんな母に私も含め家族全員が甘えていました。甘え過ぎて、よく母は元気に文句を言ってたものです。高齢でのインフルエンザは相当キツいようで、電話すると弱った声で
「いくちゃん、あんたのお父ちゃんはほんまにええ人や。お母ちゃんはええ人と一緒になった。感謝せないかん」
いやぁやられました。夫婦っていいですね。特に仲がいい夫婦でもなくよく喧嘩する父母ですが、長年連れ添って、お互いに感謝しあって、一緒に生きていく。二人ともいつまでも元気で幸せでいて欲しいです。(是松 郁子)
課題 (14.2.5)
放射線治療35回の後遺症は想像以上である。治療後五ヶ月目に入っているが、水を飲み込む時も痛みを伴う。軟らかい食べ物でもそうである。匂いや味も殆どわからない。唾液が出ないのでペットボトルが離せないし、睡眠中に何度も起きる。私は、これらの障害が治ると思っているので、いろいろ努力をする。この障害は治らないと諦めた時は努力をしなくなる。これが、私の人生の課題である。(3月7日)
( 乃口 健一 )
節分について (14.2.4)
昨日は2月3日、節分でした。子供の通う保育園にも鬼がやってきたらしく、先生いわく「腰がひけつつも鬼に向かって豆を投げていました」とのこと。年の数だけ豆を食べて、一年の健康を祈願したそうです。
というわけで、家では特に豆まきをしないで、季節の行事は園にお任せだったのですが、ちょっと節分について調べてみました。
節分とは本来は季節の分かれ目ごとにあるはずなのですが、「春・夏・秋・冬」の節分のうち一年のスタートの立春の前日の2月3日が重要視されるようになったそうです。節分に豆をまくのは、鬼の目に豆を投げつけて災厄を逃れたという故事伝説と語呂合わせから、「鬼=魔」「魔(ま)を滅(め)する」という言葉から、鬼に豆を投げて一年を無病息災で過ごす願いをこめているからだそうです。また、豆は炒った豆でないといけないそうです。生の豆だと、そこから芽がでてきます。「魔」から目がでるということで、大変縁起が悪いから炒った豆なんだそうです。子供にもこのことを来年の節分に教えてあげようと思います。
ちなみに恵方巻きは節分に食べると縁起が良いらしいですが、私が子供のころは聞いたことがなかったような・・・。
なにはともあれ、節分の翌日、本日は新しい一年のはじまりでもあります。気合いれて元気に仕事バリバリします!!
(藤本 恭子)
今日は節分 (14.2.3)
ここ何年か社内研修と重なり、節分の恵方巻きを姪っ子達と一緒に食べられなかったのですが、今年は久しぶりに一緒に丸かじりをしました。恵方"東北東"を向いて無言で黙々と食べている姿が面白く、話しかけたり笑わせたり...願い事をしながら食べていたそうで、後で怒られてしまいましたが。
テレビで節分の風習を特集していたのですが、地方によっていろいろな風習があって興味深いものでした。で、母親に聞いてみました。地方でなく東京で生まれ育った祖母の話ですが、節分の夜遅く、紙に豆とお金を包んで近くの交差点に置きに行っていたのだそうです。その時、誰にも見られてはいけないとか、人に会ってしまってもしゃべらないとか...それから自分の歳の数の豆を紙に包み、神棚に供えて、雷がなるとその豆を食べていたのだとか、なかなか面白い風習が身近にもあったのでした。
来年また姪っ子達の黙々と恵方巻きを食べる時に話してあげようと思います。覚えていたら...。
(岡野 里恵)