学びの喜び (14.1.9)
ゲーム理論における重要概念の一つに、「囚人のジレンマ」というものがある。これについては、長くなるので説明を省略するが、先日、読んでいた本の中でその話が出てきて、これって靖国問題の考察にも応用できるのではないかと、ふと思った。そこで、ネットで調べてみたら、やはりあった。それによるとこうだ。
安倍さんには、二つの選択肢がある。参拝を「する」、「しない」だ。対して中国側にも選択肢は二つある。批判を「する」、「しない」だ。これら双方の選択肢に、それぞれ点をつけて、表にすると以下のようになる。
それぞれの桝目の中の数字は、左側が安倍さんの点、右側が中国の点を表している。安倍さんからすれば、「参拝して、批判されない」のが最高なので4点、最悪なのは、「参拝しないで、批判される」ことだから、それは1点となる。さらに、批判承知で参拝したい人なので、「参拝して、批判される」は3点、残りの「参拝しないで、批判されない」は2点となる。
このように考えると、安倍さんは、中国に批判されようが、されまいが参拝するということになる。どちらにしても、参拝しないより点が高いからだ。もし、中国が批判しなければ、最高の点が得られる。他方、中国は、安倍さんが、参拝しようがしまいが、この問題を批判することになる。やはり、どちらにせよ、批判した方が点が高いからだ。つまり、靖国問題に関して、現在、起こっていることは、日中双方にとって合理的な選択の結果ということになる。
さて、では、双方が合理的に行動しているのだから、このままでいいのか。それはやはり、政治的にも、経済的にも、このままではよくないであろう。しかし、上の表からわかるように、安倍さんにとって最悪なのは、参拝をやめたのに、中国が批判をすることである。中国にとって最悪なのは、批判をやめたのに、安倍さんが参拝を続けることである。現在、双方の心中には、こちらが譲歩しても、相手は譲歩しないのではないかという疑念があり、それによって、双方ともやめられないというジレンマ状態に陥っているのである。
そうであるならば、双方の抱えるこの疑念を払拭しなければならない。そのためには対話しかない。しかし、歴史認識も、文化も、風習も、言語も異なる国同士が、短期間の話し合いで、解決策を見出すのは、ひじょうに難しいことである。だから、ここは双方が冷静になって、お互いを尊重し、ともに譲歩して、批判の内容は納得できないけど参拝はしない、参拝の意味は理解できないけど批判はしないということを、現時点における最適解とすべきではないだろうか。お互いこの問題に関して、合意しないことに合意するという考え方だ。
と、このように「囚人のジレンマ」の概念を応用して、靖国問題を考えてみた。その結果、いつも感覚的、感情的に、なんとなく考えていたことに対して、論理的に思考することができた。正解か否かは気にかけていない。政治家や、学者ではないので。でも、なんとなくうれしい気分になった。これが学びの喜びなのかもしれない。これからも読書を続けていこうと思う。
(松本 秀紀)