介護保険の社会的役割 家族が「受容すること」への関わり(09.04.25)
先日(平成21年4月18日)、地元で介護をしている妻が夫を殺そうとし、その後、自らの命を絶った事件がありましたが、本当に類似している事件として、元タレントの清水由貴子さん(49)の「自殺」があり、世論が改めて「家族の介護」の厳しさについて注目されています。
介護保険の施行の基本理念が「家族介護から社会的介護へ」と言われ、「クオリティ・オブ・ライフ」(QOL)の追求をすることが宣言されていました。
多くの解決すべきことが介護保険制度にはあります。しかし、介護保険制度が施行されて10年を経て「介護」は、明らかにイメージが変わりました。
35年前に、私の祖母が介護を必要とする状態となり、当然のこととして「嫁」である母親が、雑貨店の店主として経営をしながら3年ほど家族介護の担い手となりました。注文を受けたらバイクで酒を配達したり、店番をしたりしながら、介助し食事の世話をしていました。
今から思い出すと本当に厳しい様相でした。だんだんと家の中が暗くなり「帰りたくない」と思うようになりました。
当時、私は高校生でしたが、母親が父親に「町役場に相談したら『ヘルパー』さんという人が来てくれるらしいが、どうだろう」と話をしていたのを思い出しました。
父親は一言。「そんな、ふが悪い(格好の悪い)ことは出来ない」と却下。
その後、母は近所の気安い知り合いの主婦の方の手を借りながら何とか3年間の介護を続けました。5月の連休の暖かい日に祖母は母親に看取られながら自宅で息を引き取りました。
介護の2年目に入った頃は、祖母は今で言う認知症状態でしたので、私は恐ろしくて近づけず「早くいなくなれば・・・」と思っていたのを思い出しました。
今日では、とりあえずヘルパーさんにお願いすることは「恥ずかしいこと」という風潮は無くなりました。
しかし、介護を必要とする家族が家の中に生まれた時には、その事実を受け入れる「受容」をすることは、肉親にはとても悲しく、厳しく、暗い穴に落ちるような気がするのは痛く分かります。
その「受容」していくプロセスが介護サービス事業者やケアマネに求められる最初のプロセスなのでしょうか。地元の事件と清水さんの事件は、そう教えているように思います。
清水由貴子さんの若い頃の報道が次々と流されていますが、本当に身につまされます。
あらためてご冥福をお祈りします。
コメントする