青春とは (14.6.14)
先日、久々に「紙ふうせん」の「翼を下さい」を聴いた。
自分の青春時代、当時は「紙ふうせん」ではなく、フォークグループ「赤い鳥」だった頃、コンサート
にもよく行った。美しいハーモニーが他には無く、とても魅力的だったことを思い出す。
若かったな~!
それにしても、同じ時代を生き、今も夫婦現役で世の中の人々に貢献していることが素晴らしい。
年を重ねても、社会の中で常に貢献できることを見出し、生きていくことが大切なのだろう。
サミュエル・ウルマン氏の青春の詩
「青春とは、人生のある期間ではなく、心の様相を言うのだ・・・
70歳であろうと16歳であろうと、常に信念・希望ある限り、人は若く、常に青春の中にいる・・・」
(大山幸子)
夢 (14.6.12)
先日、私の行きつけの美容師の担当者の方が、長年の夢であるcafeをオープンしました。10数年通っていたのにそんな話を聞いたことがなかったので驚きましたが、なによりも40代半ばにして夢を実現した彼女にただただびっくり。オープン前にお世話なったお客様ダケを招待してくれるというハガキを頂き、さっそくお祝いにかけつけました。手作りのケーキは美味しく彼女の温かさが伝わるcafeでした。
私もこの年だからとあきらめず、まだまだとこれから・・・と、挑戦することに気づかされたひとときでした。(岡野朱美)
これからも・・・・ (14.6.11)
もう間もなくで 愛車の走行距離が「10万キロ」を超えます。
足かけ9年チョットでの この距離は早いのか 遅いのか ちょうど良いのか? 分かりませんが
この間 大きな事故も故障もなく 楽しい時間も 嬉しい時も 時には辛い時にも
一緒に走ってきたことを思うと 感慨深いものがあります。
過日受けた車検で ディーラーの方から
「走行距離も折り返し地点 まだまだ走れますよ~」と お墨付きを頂いたので
これからも大切に 一緒に走ろうと思ってます。さて どこに行こうかなぁ~ (香川)
12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチを再び (14.6.10)
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたたちもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。
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コントロールできない原発を維持し続けるのは、もうやめてください。
子どもの未来を預かる大人として、傍観者でいることは無責任かもしれない。このスピーチを聞いて、そう思った。
(鈴木)
ホットアイマスク (14.6.9)
目が疲れたときはホットアイマスクを目に貼り付けます。目に貼り付けるともう携帯もテレビも見ることも出来ないので朝までぐっすり眠ることが出来ます。すぐに眠りにつくのでまぶたが温まっていることを感じるのが少しだけなのでもったいない気がしますが朝すっきり起きられるので大変助かっています。
どんどん視力が下がっているので落ち着いたら眼科に行こうと思います。
(北川)
父の日 (14.6.6)
少しフライングですが、父の日も近いので両親を連れて日帰り温泉に行ってきました。
ランチバイキング付きのプランを選び、久しぶりに家族3人でゆっくりとした時間を過ごすことができました。
たまたま3人の予定があったので急遽決まったお出かけのため、近場ですますこととなりましたが、それでも両親が喜んでくれているのが伝わって、行ってよかったな、と思う休日になりました。
これからも時々は両親と出かけたいなと思います。
(和泉)
チャレンジ (14.6.5)
先日久しぶりに会った友人から、少し前から新たな職場で働き始めたことを聞かされた。
その職場は友人が、これまで長い間続けてきた職種とは、まったく異なっていたので少し驚いた。
新たなるチャレンジである。
もちろん今回の決断に至るまでには、さまざまな迷いもあったと思うが、新たなる場所で頑張る友人を応援したいと思う。
それと共に、私自身も友人に負けずに、新たなる事にチャレンジしていける人でありたいと思う。
(日詰)
原点回帰 (14.6.4)
「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
日本国憲法の前文からの一部抜粋です。集団的自衛権の行使容認をめぐる議論がかまびすしいので読んでみました。そこにははっきりと「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」と書かれています。重要なのは「国家」でも「国民」でもなく「政府」とあることです。
経済的、軍事的に国際的なパワーバランスが大きく変化してきているのは周知の事実です。だからと言って、同盟国アメリカとの関係強化のために、現在まで否定してきたその集団的自衛権の行使を、解釈改憲などという姑息な手段によって、政治的に時の一内閣がひっくり返し、可能とするのは傲慢過ぎます。
権力者(人)は必ず間違いを犯す。信頼を民主主義の前提とするのではなく、猜疑心から出発しなければならない。だから憲法が必要なんだ。こうした考えの上に、権力者の権力濫用を抑えるため憲法は制定されています。日本国憲法の根本にある立憲主義という考え方です。
憲法はこの立憲主義に基づき、国家という巨大な力を法の力で支配するため、国民が権力者に守らせる大切なきまりを明文化したものです。一内閣の解釈の変更により、あたかも改正があったがごとく、軽々にその意味する内容に変化を生じせしめられるようなことがあってはなりません。現行憲法を堅持することで、もはや時代の要請に応えらないというのであれば、国民に対して十分に説明し、やはり96条に定める手続きによって改正すべきでしょう。みなさんはどうお考えになりますか。
わたしは、集団的自衛権の行使容認の是非に対して、まだ明確な答えを持っていません。しかし、解釈改憲による行使容認には反対です。なぜならそのような欺瞞に満ちた政府に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのない」社会が保障できるとは思えないからです。
行き詰ったなら原点に戻れ。そう思い日本国憲法の前文を読んでみました。集団的自衛権の行使容認の是非を問う問題は難しい問題です。新聞記事の斜め読みや、ネット上の情報をつまみ食いした程度ではなかなか正しい答えを出せません。しかし、原点に立ち帰って考えてみることによって、一筋の光明を見た感がありました。今後も関心を持ち続けて、自分の頭で考えていこうと思います。子や孫の世代に、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように。
(松本 秀紀)
蛍の季節 (14.6.3)
蛍の季節がやってきました。熱いような、まだ肌寒い日もあるこの季節が蛍は大好きのようです。子供と一緒に実家に帰省し、ご飯を食べながら暗くなるのを待って、近くの土手にお散歩です。川沿いの土手を歩いていくと、ふわぁ~と一斉に飛び回る蛍たちが水辺や山の辺りに見えてきました。子供達は蛍を捕まえては、手の中で光っている姿を見て大喜びです。
喜んでいる子供と、見守る父母の姿を見て、ラジオCMの「両親があと30年生きるとして、俺はあと30回しか両親に会えないのか・・・」というセリフを思い出しました。ETC割引が30%になっても、時々実家には帰ろうと心に誓いました。
(泉川)