誰そ彼 (13.7.2)
「黄昏(たそがれ)」という言葉の語源をご存じだろうか。薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」と尋ねるところから、「たそかれ(たそがれ)」は夕暮れ時をさす言葉となったそうだ。
つい最近のそんな黄昏時、こんなことがあった。夕食後、用事があって、近所まで妻といっしょに歩いていたときのことである。舗道上にできた街路灯の灯りのかたまりの向こうから、小さな灯りがゆらゆらと揺れながらこちらに近づいて来た。灯りのかたまりに入る少し手前で、それが自転車のライトであることと、その主が高校生っぽい男の子であることがわたしにはわかった。その瞬間、隣で「おかえりっ」と妻が大きな声を発した。「えっ!?違うやろ・・・」とわたしは小声で言った。少年は灯りのかたまりに入ると同時くらいに、「ただいま」とちょっと無愛想に返してきた。よその子と思ったが、部活を終えて帰って来た我が息子であった。
黄昏時・・・。わたしには、まさに誰そ彼時であった。わたしは自分の子がわからなった。薄灯りの向こうの少年の姿を、我が子のそれと見取ることができなかったのである。腹を空かせて家路を急ぐ我が子を見送った後、ちょっと息子に悪い気がして、自分のことも少し嫌になった。「なんでわかったんや?」と妻に尋ねようとしたがやめた。答えはおおかた想像がついたからだ。わたしにはわからなくても、いつも子どもたちの一番近くにいる妻にはわかることがある。母性の偉大さに神秘性すら感じた、ある日の黄昏時だった。
(松本 秀紀)
BOOK (13.7.1)
「かいけつゾロリ」という児童書をご存知でしょうか?娘が大好きで、図書館に行く度に借りてきては、周りの声が何も聞こえなくなる位、夢中で読んでいる本です。
私も子供の頃から本が好きで、図書館に連れて行って欲しいと母にお願いしては、持ちきれない量の本を借りていた事を思い出します。なので、私が子供の頃に読んでいた本を娘が読んでいると、とても嬉しい気持ちになります。その本が、何十年も愛されて読まれていること。すごいですよね!
読む媒体が、タブレットばかりになる時代も来るかもしれませんが、何であれ、魅力ある本はいつまでも読まれ続けて欲しいものです。
(泉川)