再生への道へ (11.4.18)
気持ちよいほどの芽吹。
家人が「雑草をなんぼ抜いても次から次へと出てくる」と言っておりました。「生きている限り頑張っても種としての雑草は個体としての人間の生命力より長いからな~」と話題になりました。
この芽吹きを見ていると「再生」という言葉を思います。
深刻な東日本大地震の被害から、どのように「再生」するのかが問われています。
原子力発電所の事故では、大量の放射線が放出され、チェルノブイリ事故と同じレベルの事故となってしまいました。
第二次大戦で広島・長崎に米国による原爆投下がおこなわれ「被爆」の悲惨さを体験した国民であるにもかかわらず、自らの原子力政策の結果として「被爆」してしまうことになりました。何ともやりきれないことです。
報道では「危険性はない」などと曖昧な表現が散見されることに怒りを感じます。また、頻繁に「想定外」という言葉を使われることも気になります。もしかして私たち日本人は、近代科学の力を過信して思い上がっていたのかもしれません。
今に生きる者の使命として、この体験を絶対に風化させず、悲観せず、出来ることから前向きに生きて、言うべきことは言わなければいけない、そして「再生」への道を歩むことが大切と強く思うこの頃です。(林 哲也)
家人が「雑草をなんぼ抜いても次から次へと出てくる」と言っておりました。「生きている限り頑張っても種としての雑草は個体としての人間の生命力より長いからな~」と話題になりました。
この芽吹きを見ていると「再生」という言葉を思います。
深刻な東日本大地震の被害から、どのように「再生」するのかが問われています。
原子力発電所の事故では、大量の放射線が放出され、チェルノブイリ事故と同じレベルの事故となってしまいました。
第二次大戦で広島・長崎に米国による原爆投下がおこなわれ「被爆」の悲惨さを体験した国民であるにもかかわらず、自らの原子力政策の結果として「被爆」してしまうことになりました。何ともやりきれないことです。
報道では「危険性はない」などと曖昧な表現が散見されることに怒りを感じます。また、頻繁に「想定外」という言葉を使われることも気になります。もしかして私たち日本人は、近代科学の力を過信して思い上がっていたのかもしれません。
今に生きる者の使命として、この体験を絶対に風化させず、悲観せず、出来ることから前向きに生きて、言うべきことは言わなければいけない、そして「再生」への道を歩むことが大切と強く思うこの頃です。(林 哲也)