偽善者 (13.11.28)
先月、阪急阪神ホテルズが食材の誤表記を発表してから、次々と食品偽装が発覚している。この問題が社会を賑わす少し前に読んだ本の中で、「偽善者とは自分に課す基準と他人に課す基準が違う人のことだ」という一文があった。それを読んだ時、「ああ、自分は偽善者だな」と思った。たとえば、子どもたちには、その学業成績においてより高い成果を求め、そのための努力を怠るなと説く。学生時代に、自分は遊び呆けていたにもかかわらずだ。はたまた、些細なことだが、コンビニの店員の接客態度が、ぞんざいだとむかついたりする。自分が、レジカウンターの向こうに入ったら、それを完璧にこなせるかどうか、これもまた怪しいにもかかわらずだ。
紳士然とした、どこかの社長だの常務だのという人たちが出てきて、「偽装」ではなく「誤表示」ですと弁明する姿を、ニュース映像で観るたびに、先の一文を思い出す。この人達も同じだなと。彼らは、他者より厳しい基準を自分達に課し、不断の努力によってそれを克服しておりますと偽り、あたかも一流のごとく、他者より自分達を高尚に見せてきただけだ。他者に当てる物差しと、自分に当てるそれとが違う。その本質において、彼らもまた私と同じ偽善者だ。
日本百貨店協会によると、協会に加盟する全国85社のうち、6割に当たる51社で食品の偽装表示が見つかったそうだ。 「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」。今まさに、食品あるいは飲食業界にはこんな群集心理が蔓延しているようだ。今のうちに白状しておけば、自社だけが糾弾されることなく、業界全体への行政指導ぐらいで治まるだろうというような意図が透けて見える。
食品偽装問題も今に始まったことではない。何度も繰り返されてきた。そしてこの先もなくなることはないだろう。何年か後に、また偽善者がどこかで同じことをするだろう。社会に蔓延る不正を真正面から正せる正義の人がいったいどこにいるだろうか。そんな事を考えると少々空しくなってくる。とは言うものの、自分はどう生きるべきか。偽善者のままで終わりたくないので、近いうちに哲学の入門書でも読んでみようかと考えている。
(松本 秀紀)